うそラジオ Podcast 松任谷由実はじめました

**** さみしさのゆくえ ****

うそラジオ収録の当日・・・・・ユーミンの親友が亡くなった。
少女時代のユーミンにアメリカ文化を教えてくれた女性であり、生意気盛りのユーミンを知る女性であり、ユーミン、そして荒井由実にとってかけがえのないその女性。
彼女は、このうそラジオにも出てくれたこともあり、ディレクターのニワちゃんや私もお会いしたことはあるけれど、会話をしたのはほんの2時間程度の間だけ。だから私たちはその人のことをあまり知らない・・・。でも、私たちは確かにその人の存在を知っていた。ユーミンがことあるごとに話していたから。
「初めてティッシュを見たのも彼女の家だった」
「初めてピザを食べたのも彼女の家だった」
「すべてが新鮮で刺激的だった」
ユーミンは、よくそう言っていた。

危篤ということを知らせれ、ユーミンは前日に病院にも行っていたせいか、その死を聞かされてもユーミンは落ち着いていたけれど・・・それは表面だけ。
だから今週の放送のユーミンは、少し変。
いつものようにおもしろいけれど・・・・少し変。
私は思い出していた。
今年の苗場のステージで聴いた【さみしさのゆくえ】のことを。
久しぶりにその曲を耳にして、私は泣いた。静かに嗚咽。バカみたいに。
あのブリザーディウムで、このフレーズに、ガツンとやられた。
♪他人の淋しさなんて救えない・・・♪
前後の歌詞など関係なく、ただこのフレーズだけに。
他人の淋しさなんて救えない・・・。なんて悲しい歌詞だろうか。曲調が妙に明るいことも手伝ってか、その開き直ったようなフレーズにやられた。
なぜやられたのだろうか。
初めて聴いた14歳の頃には何も思わなかったのに。
こうやって何十年も生きてきて、そんな想いを実感したからだろうか?
♪他人の淋しさなんて救えない・・・♪
それって、
悲しいけれど真実。
悔しいけど真実。
理想は心にあるけれど、人の心はわからないもの。
ユーミンが亡くした親友への気持ちをわかるはずはないけれど、わかりたいと思う。でも決してそれはわからない。
そんな気持ちを、自分の友達にもあてはめてみる。
よくわかっているつもりの友達や親友や親や姉妹の気持ちの本当の心を、すべてわかりきることはできないという不甲斐なさ。そして、それは自分にも当てはまるのだということも。
でも、「わかりたい」・・・そういった気持ちがあれば、お互いの関係は保ち続けられるのかなと思っている。きれいごとを言うようだけれど、「わかってあげられているんだろうか」という気持ちを持てれば、それは成立するのかなと。
これが今年の苗場以来、他人のさみしさについて考えてきた私の結論。
私はもうすぐ40歳になるが、この「さみしさ揺れ」は私だけでないことを実感した。
実は、うそラジオ宛に、苗場での【さみしさのゆくえ】に感動したというメールが多く寄せられ、そのほとんどが30代後半の女性だったのだ。
みんな、何かを感じているのだな・・・と。
だんだんと年を重ねてきて・・・。
そして気がつく。 ああ、これが人生だなって。
それから・・・・ユーミンはずいぶんと若いときにそれを悟っていたのだなって。
単なる作家としての客観性なのか。それとも生まれつきのものなのか。
そんなユーミンの早熟を感じると同時に、自分の幼稚さ加減にも気づかされる。

いつも収録が終わると、ニッポン放送の入り口で、私たちはユーミンが乗り込むタクシーをいつも見送る。
今日もそれは変らなかった。
「また、来週〜」 「おつかれさまでしたー」 「バイバーーーイ」 
それぞれの言葉で送り出す。
ユーミンはいつもタクシーに乗り込むと、車が出る瞬間に一瞬振り返って手を振ってさよならの挨拶をする。そして、すぐに前を向く。
でも、今日は違った。
ユーミンは最後まで、振り返ってずっとずっと手を振っていた。
私たちの姿が見えなくなるまで、ずっとずっと手を振っていた。