**** ひとつの星 ****
ピアニスト・武部聡志さんの指に絆創膏が巻かれていた。ステージが終わった直後、武部さんはその絆創膏を見つめ、少し恥ずかしそうな顔をして言った。
『鍵盤にぶつけて切っちゃって・・血が出ちゃったんだ。自分でも驚いた。いつもはこんなこと絶対にないのに。カーーーッとなってたのかなあ・・・』
私は妙にうれしくなった。胸の奥の方にある自分の芯のようなものがざわついているのは、私だけではなかった、演奏を聴いていた側だけではなかったと知ることができて。
2005年9月23日(祝・金)。
「愛・地球博」の閉幕まであと2日となったこの日、名古屋は心配されていた台風の接近もなく、昼間は夏日といっていいほどの暑さだった。来場者が熱中症になるのを防ぐためか、通路の頭上からはスチーム状の水が時間ごとに噴出されていた。白い煙のようなその中を歩く人々の群れに感じるのは、ちょっとした近未来。
長久手会場「EXPOドーム」の予定表には、【YUMING Love The Earth Final】の文字。3000人が入れるドームのチケットは、すでに抽選によりすべて行き先が決まっていたが、少し離れたところにある愛・地球広場の大型ビジョンでライブ中継をするということで、早い時間からビジョンの前には、私の目から見ても、もう入りきらない・・・と思うほどの人が集まっていた。
それを見たとき、実は (今日のライヴはなにか違うものになるかもしれない) と漠然と思ったが、そんな感情もすぐに消えた。言い方は悪いが、私は「万博」というものにあまり興味がなく、このユーミンのファイナルステージをさほど意味のあるものとして捉えていなかったのだ。
なんだろう。それはもう図式のようなもので、すごいイベントだからユーミン・・・という、画一的なものなんだろうと、ぼんやりと思っていただけで。
「EXPOドーム」には壁がなかった。
ドームの外側にドーム全体を支える柱が等間隔にあるだけで、柱と柱の間は吹き抜け状態。生い茂る草が見え、低く夜の空が見え、反対側にはパビリオンを照らすライトが見える。雨が降っている日なら、落ちてくる雨の粒が線になって見えるのだろう。
圧倒的にそこは静かな場所だった。聞えるのは途切れることない虫たちの輪唱。夜7時開演。ユーミンの登場を示唆する派手な合図もなかった。ふと目をあげたとき、ユーミンはもうそこにいた。すうっと、静かにそこに立っていた。
いつものツアーのステージとはまったく違う始まり。軽くお辞儀をし、ピアノに向かう。イントロもなく始まったのは「ひこうき雲」。ユーミンのピアノと声が虫の音に溶け込んでゆく。最初からやられた気がした。地味にガツンと。
ステージには、6台のグランドピアノがあった。左に3台、右に3台。まるで、その空間は【題名のない音楽会スペシャル】。 山本直純さんのお姿すら思い出してしまった。始まる前に (今日のライヴはなにか違うものになるかもしれない) と思った一瞬が、6台のピアノを見て、(あれ? あながちそれは間違いではないかもしれない) という確かな気持ちに変わり始めていた。なにか起きそうな予感。人間にもまだ野生動物の本能とやらがうっすら残っているのだ。
弾き語りによる1曲目が終わると、正隆さん・武部さんをはじめとする6人のピアニストが出てきた。プロのピアノ弾きによる、それぞれのテクニックを駆使した演奏が始まる。まるで鎖が切れた犬のように勝手気ままに踊り歌うユーミン。プロ同士の共演で生まれる緊張感は客席にも伝わっていた。
じゃれあうように音を奏であうという風にも見えたが、それぞれがそのステージを《はかないもの》《一度しかないもの》と理解し、その中で最高のものを作るために探りあっている感があり、見る側には、その人数分の波動を受け止めるので精一杯だった気もする。
選曲も良かった。
曲順も良かった。
見せる歌、聴かせる歌。陰と陽のそのバランスは、遊園地のバイキングのよう。振り幅が大きく、感情が大きく揺さぶられる。平坦なところでも心をぞわーーーーっとさせられる。今まで聞き逃していた歌詞の1フレーズ1フレーズが、その空間でははっきりと聞えた。あらためてその歌詞の意味やその言葉の持つ本当の力を知った気がした。
ユーミンはMCで、自分の曲には政治的なメッセージはないと言い切った。
たぶんユーミンの歌にあるのは、政治をも動かす人間的メッセージ。
この日はいくつも驚いたことがあった。そのひとつは、伴奏をするユーミンの姿を見たこと。ユーミンの伴奏で【春よ、来い】を歌ったのは、真っ白なタキシードで登場した韓国の歌手・19歳のイム・ヒョンジュ。歌い方・動き方が微妙に日本の音楽家たちと違う。観客に対する丁寧なアプローチのしかたに胸がドキリとする。
シンガポールの大スター、ディック・リーの英語での【最後の嘘】はさすがだった。完璧な洋楽になっていた。この歌は男性にあう。この歌は英語があう。クラプトンワールドへの階段を静かにのぼるディックを見た気がした。
上海の歌姫・アミンの【卒業写真】でも、楽曲が持つ新たな魅力と可能性に驚かされた。私は中国語というものはタンバリンの音のようなものだと思っている。言葉が常に跳ねている。言葉のリズムが軽快なぶん、この王道のバラードがより一層悲しく聞えたのは私だけだろうか。
日本人のゴスペルもすばらしかった。歌はもちろん、彼女たちの表現力に圧倒された。解放。満ち溢れているもの。その気持ちよさに触れたくなる。魂のレベルでのなにか。やさしくて強いもの。
ユーミンもそうだった。やさしく強かった。この時間、ユーミンというよりも松任谷由実というひとりの女性が存在していたように思う。それを決定づけたのはアジアの子供たちの映像が印象的な「スラバヤ通りの妹へ」。誰もが抱いている不安感をそっと包み込んで見守ってあげる・・と宣言されたような錯覚にとらわれ、アジア人というアイデンティティーをも意識させられた時間でもあった。あの小さな女の子の瞳が今も目に焼きついて離れない。フラッシュバックする。
6人のそれぞれのピアニストとのかけあい。アジアのアーティスト達とかわす何気ない視線のやりとり。この日のために作った「Smail again」でつながるアジアのことばたち。すべてが刺激的だった。「SAVE OUR SHIP」では、ステージをふくめた会場ごとが巨大プラネタリウムと化し、あまりのスケールの大きさに、皆呆然とした。おそるおそる会場内を見回す人々。幾千の星の粒が降り注ぐ闇。ユーミンも誰も彼もが、小さな星のひとつになっていた。
【YUMING Love The Earth Final】
明確なコンセプトのもとに作られた今回のステージ。地球・アジア・音楽・未来・・・・。今回ばかりは本当に、ユーミン、出演者、演出家、舞台を共につくった裏方の人たちを残念に思う。この素晴らしきライヴを生で見られなかったということを。・・・というよりも、その見られなかった人たちに、お礼を言うべきなんだと思った。
関わったすべての皆様。素晴らしいものをいただきました。ありがとうございます。
鳴りやまぬ拍手の中、こんなことを思った。中学生の時にこのステージを見てみたかった・・・歌詞の意味はわからないかもしれない、恋愛や人生における深い表現は理解できないかもしれない、でも、さまざまなメッセージやヒントが散りばめられたこの2時間、同じ席に座っていたとしたら14歳の私は何を感じ何を想ったか、それを知りたかった。
過去を予測する。
なんとなく思った。
そのあとの自分の生き方は、きっと変わっていただろうと。