うそラジオ Podcast 松任谷由実はじめました

*****何も言えなくて、夏*****

あっ、麻利夫だ。

東京では今、TBSの平日午前10時半からのドラマ再放送タイムにおいて、【誰にも言えない】をやっている。その前に【ずっとあなたが好きだった】をやっていたので、きっとこれもやるだろうと思っていたらホントにやった。

♪カ〜リビア〜ンナ〜イト もっと私を見てぇーーーー♪である。
いまさら説明することでもないが、ドラマ同様話題となった主題歌・ユーミンのシングル『真夏の夜の夢』である。ドラマ全盛期も手伝い日本中のおっさん奥さん学生ばあさんが前作の冬彦さんから麻利夫へとドラマを通して受け継がれていったあのマニアックな旦那ワールドに酔いしれたわけだが、その背後に流れていたメロディーはもはやパブロフ化しているといっても過言ではない。

イントロのあの太鼓のトコトコトコトコトコトコ (私にはそう聞こえる) が鳴ったとたん、

「やばー!! 今日もあの旦那がなんかしでかすぜ。っていうか佐野史郎ね。っていうか不穏———っ」

と、海馬がうずく。もちろん今でも。
そのセットとしてファーストフードのポテト感覚でついてくるのが賀来千香子プラス野際陽子プラス山咲千里アンドモア後にぽっかぽかで良き父として主婦層人気をわしづかみにした羽場裕一だったりする。

ドラマ内容はセンセーショナルで、誰もがブラウン管の前で熱い夏を過ごしたはず。
そう、あれは1993年の夏。
私はこの夏をよく覚えているし、何を隠そう私にとっては今では記念の夏である。

なぜならばこの夏は、私がユーミンのラジオ番組・当時ニッポン放送で土曜日にオンエアーしていた『松任谷由実のオールナイトニッポン』に参加した年だったのだ。担当ディレクターに、

「土曜日のユーミンのオールナイトやらない?」

と最初に誘われたとき、今だから言うが実は生意気にも私は断った。

「えっとおーーー、土曜日の夜は9時からテレ朝で『土曜ワイド劇場』を見ることにしているので仕事はしませーーーん」

無謀である。若かったと言えばかたづく?
でも私にとって、土曜ワイド劇場は白米と同じように必要なものであり、それを譲ってまで仕事をする気などさらさらなかった。でもディレクターはこう言った。

「じゃあ、9時に集合して土曜ワイド劇場見ながら作業していいから」

「ホントですかあーー?? そういうなら・・・・せっかくだし・・・じゃあ、やらせてもらおうかなあ」

こうしてディレクターとの交渉も成立し、すでに5年間続いている番組に私は新入りとして放り込まれたのだが、交渉成立どころか番組についてからその後6年間、私は生き甲斐でもあった土曜ワイド劇場を見ることはなかった。( It’s だまされたぜ!! )

気がつけば夜8時に集合し、ハガキや手紙をわけ(今はメール)、簡単な流れ原稿をつくり・・・・そんなことをしているうちに11時にはユーミンがスタジオに入り打ち合わせが始まる。そうして気がつけば深夜1時に晴れて放送がスタート!!  そんな土曜日が始まり、ユーミンとの関わりを持ち始めたのが1993年の夏のこと。逗子マリーナからの生放送を有楽町のスタジオで受けていたのが一日目の仕事だった。( このときニワちゃんはすでにスタッフとして参加しており、真夏の夜の夢とプリントされた浴衣をみんなで着て放送をしていた )

1993年.月日は流れて2003年。
私にとってユーミンとの出会いはめでたく10年を超し、早くも11年目の夏までもが終わろうとしている。はっえーーーー。

今思うと・・・というか、今だからこそわかる当時のことがいくつかある。
私が番組のスタッフとして参加するようになって何回目かのこと。私も今よりは年齢のぶんだけ知識も少ないだけでなく、パーソナリティーへの配慮がまったく足りなかった ( と思う) 。そりゃそうだろう。今まで客観的に見ていたスーパースターを目の前にして仕事をするのだし、こっちは中二のとき『守ってあげたい』のレコード買ってるし、なんで自分がこの人と仕事をしているのだろう?と夜眠る前に考えたし。とにかく緊張もしていたせいか100%の力を出し切れずに固まりながら仕事をしていたのだが・・・・・むしろ最初は、ユーミンの方が私に気を使っていたのではないかなと。

あるとき、私はユーミンがしている黒いビーズの三連ネックレスを「ステキ」とひとこと言ったことがあったのだが、ユーミンはその瞬間そのネックレスをはずし、

「じゃあ、あげる。ふふふふふふ」

と笑って私の首にかけてくれたことがあった。結果的にはその瞬間、わたしはかさ地蔵のように倍固まってしまったのだけれど、今ならユーミンのあの行為が理解できる。
年齢を重ねてきて思うことは、{なんでも自分から近寄ること}だ。{待っていてはいけない}ということだ。

若かったときにはできなかった。
自分は自分で一生懸命やっているのだから認めてよ!! あたしはここにいるんだから!! と表現していたが、そんなふうにふんばっているよりも、そっちはどう??といって自らが相手に近づくほうがずっと楽しい。

あのときのユーミンはきっと私をなんとか受け入れようとがんばっていたに違いない。そう思うと11年前に戻ってもっと粋なことをして役立つべきだったと反省してしまう。あのころに比べると、ユーミンとの関係は微妙に変化を遂げているが、今後変化を遂げないものがひとつだけあると自負している。

それは「共通の笑いのツボ」。
おもしろいと思うことが同じって美しいと思う。ユーミンが、広島の宮島にいる元気のない鹿を、

「ボロボロの犬みたいな鹿」

と表現したとき、私のハートは濡れた。さすがユーミン!! あんたが大将!! と。